上皇ご夫妻さまが栃木県日光市を訪問なされました。

2024-05-28

お知らせ

上皇ご夫妻さまが、令和6年5月28日、栃木県日光市を訪問なされました。31日まで滞在し、ゆかりの地を訪ねになられる、とのことです。

日光は、第二次世界大戦の戦局の悪化に伴って昭和19年7月から翌年11月まで、上皇さまが学習院初等科の同級生らとともに疎開なされた地であります。

上皇さまは、当時、旧日光田母沢御用邸(現在の日光田母沢御用邸記念公園)に滞在し、近くのホテルに宿泊する同級生らとともに、御用邸に隣接する東京帝国大学の附属植物園の教室などで授業を受けらました。昭和20年7月中旬には、600人以上が犠牲になった宇都宮空襲があり、上皇さまたちは急遽日光のさらに山の奥(奥日光の民間のホテル)に移られ、ここで8月15日に終戦を告げる父・昭和天皇の玉音放送を聞かれました。

上皇さまの疎開の地・日光を訪ね戦争の記憶をたどられる旅が、戦後70年を迎えた平成27年から3年連続で計画されましたが、いずれも豪雨災害や大地震などのため取りやめとなっていて、退位から5年余りたってようやく実現致しました。

髙井家はかつて大正時代、日光田母沢御用邸に「東宮職第参拾號」の門鑑を携えて打ちたての蕎麦をお届けしておりました。また、平成の時代となってからは、栃木県への行幸啓の都度、計3回ほどお食事のご注文を賜りました。天皇皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻さま)が平成26年に栃木県・旧足尾町へいらした際には、髙井家の現九代目主人がご昼食の御用を賜り、ご昼食の後、九代目女将が「大変結構でした。皆さんによろしくお伝えください。」とのお言葉を頂戴し、感激致しました。髙井家にはそういったご縁がございます。

上皇ご夫妻さまのお元気なお姿を、日光で再び拝見することができ、嬉しい限りでございます。



※当記事を掲載するにあたり、以下のニュースサイトを参考にさせて頂きました。
(参考)上皇さま 疎開の地 栃木日光へ 学童疎開本格化から来月で80年
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240528/k10014462901000.html

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